宗谷本線 抜海駅 他【木造駅舎カタログ】落ち穂拾い34/345

※2017年1月撮影
トップ画像は、JR北海道宗谷本線下沼駅の前面展望。幸いこの駅は、廃止されていません。
前回書きましたが、この下沼駅は、牛山隆信さんの秘境駅で18位、宗谷本線では堂々の2位なのです。2009年(平成21年)に駅を訪れた牛山さんは「離れた場所に人家4軒」と書かれていますが、2010年国勢調査では、駅の周囲には2世帯6人です。
いずれにしても真っ白な世界です。温もりを感じさせるものは一切ありません。
※2017年1月撮影
下沼駅は、1926年(大正15年)開業の古い駅。駅の西2kmほどに大きなパンケ沼があります。アイヌ語で「パンケト=下流側の沼」から下沼と命名された様です。その辺りはラムサール条約湿地、泥炭湿地のサロベツ原野が広がっています。
こちらは、2021年(令和3年)に廃止された徳満駅前面展望。
※2017年1月撮影
1926年(大正15年)開業。駅所在地は、福満(ふくみつ)でしたが、城端線に同音の福光駅が既に存在していたため徳満に変えて駅名にしました。駅周辺の住民は、3世帯8人。(※)
※2017年1月撮影
福満、徳満は、明らかな瑞祥地名です。北海道に多くある瑞祥地名には、開拓民、入植者の切ない願いがこめられていて、廃止された駅名標に希望のこもった地名を見る度に悲しくなります。
かなわなかった夢、失われてしまった希望が静かに雪に埋もれているのです。
次の兜沼(かぶとぬま)駅との間には、2001年(平成13年)に廃止された芦川駅がありました。サロベツ原野のただ中に開拓の意気に燃えて開設された駅でしたが、泥炭湿地の農地化は至難。現在サロベツ原野は、開発では無く保護に方向転換されています。
芦川駅周辺に入植した人たちは、塗炭の苦しみを味わったのでしょう。駅跡には何もありませんが、芦川会館という集会所がポツンと残っています。しかし集会所ができた頃には集落が消滅してしまっていたのです。
駅に近づきます。側線には除雪車両がいます。列車交換で兜沼駅に停車しました。
※2017年1月撮影
JR北海道HTR形638モーターカー。Rは除雪用ラッセル(ロータリー)を意味しています。
※2017年1月撮影
兜沼駅の駅舎。1988年(昭和63年)に改築された二代目木造駅舎です。初代駅舎は、倍くらいの大きさがありました。
※2017年1月撮影
交換する上り列車が来ました。
※2017年1月撮影
宗谷本線抜海(ばっかい)駅に到着。
※2017年1月撮影
駅が開業した1924年(大正13年)の木造駅舎。この駅に停まる普通列車は運行本数が限られています。それでも来る日も来る日も、毎日除雪を怠らないJR北海道の努力に脱帽します。
※2017年1月撮影
この駅も牛山さんの秘境駅では下沼駅に次いで23位。宗谷本線では3位です。たしかに駅の周囲(※)には1世帯2人しか住んでいないという「荒野」なのです。
抜海駅から11.7km、南稚内駅に入ります。
※2017年1月撮影
1952年(昭和27年)1kmほど南に移設されていますが、南稚内駅は廃止された天北線が宗谷本線だった時代の初代稚内駅でした。駅舎は1953年(昭和28年)に作られた木造駅舎。
※2017年1月撮影
現在の稚内駅は、元稚内港駅。北防波堤ドーム内のホームまで線路は延長されていました。1939年(昭和14年)稚内駅に改称され、初代稚内駅は南稚内駅になったのです。
2014年(平成26年)3月に訪れた稚内港北防波堤ドーム。
※2014年3月撮影
この日は、この後旭川駅まで戻って、さらに石北本線上川駅まで行って宿泊しました。元気だなぁ・・・。(笑)
※駅周辺人口は、駅を中心にした半径500m、直径1km円内の人口データ(国勢調査 2010年/平成22年)
※使用している写真は筆者が以前にプライベートな鉄道旅で撮ったスナップ写真です。
※過去のコラムで同じ写真を使用している場合があります。
※コラム中の値段は撮影当時のものです。
※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)他を参照しています。
※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道を撮影する時は感謝の気持ちを伝えましょう。ありがとうございます。
(写真・文章/住田至朗)