※2017年1月撮影

トップ画像は、JR北海道石北本線生田原駅。列車交換をします。

石北本線は遠軽駅を出た後、東相内駅まで西留辺蘂駅を除いて列車交換可能な駅が6駅続くのです。

生田原駅の駅名標、隣の生野駅は2021年に廃止されています。「にしるべしべ」と貼られている下には「かねはな」と書かれていました。金華駅は、2016年(平成28年)利用者減少で信号場となったのです。

※2017年1月撮影

常紋信号場の接近標識の残る常紋トンネルの遠軽側坑口。

※2017年1月撮影

1914年(大正3年)に開通した常紋トンネルは、深い山の中、507mのトンネルに36ヶ月もかかったという難工事でした。過酷な工事で100人以上の死者が出たのです。1959年(昭和34年)に慰霊のために金華信号場側約1km辺りに地蔵尊が祀られました。その地蔵尊の周囲からも50体の遺骨が国鉄職員などによって発見されています。

1968年(昭和43年)の十勝沖地震で常紋トンネル内の壁面が損傷。改修工事の際には頭蓋骨が損傷した人骨が発見され、工事中に監督の指示に従わなかった労働者がスコップなどで撲殺され見せしめにトンネル内に人柱として立てられたという言い伝えが事実であったことが明らかになりました。調査の結果、人柱(遺体)はさらに10体が発見、収容されました。

これらの惨状を受けて1980年(昭和55年)留辺蘂町などによって「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建立されています。

わずか100年ほど前のことです。斯様に非人道的な、むしろ犯罪的なトンネル工事が行われたという事実に驚きます。殺された人々には、戻る故郷も無く、探す親族もいなかったのでしょうか・・・。

常紋トンネルの金華信号場側に、2017年(平成29年)に廃止された常紋信号場跡が残っていました。

※2017年1月撮影

旧金華駅の接近標識が残っています。

※2017年1月撮影

2016年(平成28年)旅客扱いを廃止、信号場になった旧金華駅。右奥に木造駅舎が残っています。

※2017年1月撮影

改札口は、木で塞がれていました。1934年(昭和9年)建造の木造駅舎には「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」への案内が掲示されています。駅が現役時代からのものですね。

※2017年1月撮影

留辺蘂駅で特急「オホーツク」のキハ183系と列車交換。

※2017年1月撮影

すみません、まだまだ網走駅は遠い、です。

※駅周辺人口は、駅を中心にした半径500m、直径1km円内の人口データ(国勢調査 2010年/平成22年)

※使用している写真は筆者が以前にプライベートな鉄道旅で撮ったスナップ写真です。

※過去のコラムで同じ写真を使用している場合があります。

※コラム中の値段は撮影当時のものです。

※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)他を参照しています。

※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道を撮影する時は感謝の気持ちを伝えましょう。ありがとうございます。

(写真・文章/住田至朗)